プレゼント その3 BACK NEXT

「えっと、次は……っと」

 本を見つつ、慎重に、ガラス瓶の中に材料を注いでいく。本当はビーカーを使うんだけど、師匠はいつもこのガラス瓶を使っていたから、わたしもビーカーの代わりにこれを使っている。
 スポイトを持つ手が震える。一滴でも間違えたら、香りが微妙に変わってしまう。

「……ふぅ」

 役目を終えたスポイトを机の上に置き、わたしはため息をついた。後はもうエタノールを入れて、香りのテストをするだけ。

「あーつかれたー」

 わたしは首をぐりゅんと回し、固まってしまった肩をコキコキと鳴らした。

「……お疲れ様です、リリー」

 控え目にノックして入ってきたのはキアだった。どうやら調香が終わる頃合いを見計らって、お茶を持ってきたらしい。

「ありがとう、キア」

「いえ。大したことではありません」

 ふわりと微笑み、お盆を机に置く。そこには、湯気を立てるティーカップが二つと、マドレーヌがいくつか盛られたお皿が乗っていた。

「お茶の時間ですので、一緒にお菓子などどうかと思いまして」

「ほんとにありがとう、キア。やっぱり疲れた時は甘いものよねー」

 マドレーヌをひとつつかみ、はくっとかぶりつく。しっとりとした甘さが口の中に広がった。

「この香水はクロセルの……?」

「ぅぐっ」

 マドレーヌがのどに詰まったわたしは、慌てて紅茶でマドレーヌを流し込んだ。

「そ、そうだよ。プレゼントが欲しいってうるさいから仕方なく作ってあげただけであって、決してわたしが自主的に作ろうと思ったわけじゃないんだからね!?」

「さようですか」

 くっ、生温かい笑顔が憎い!

「この香り…、どうやら女物のようですが」

「う、うん。なんとなく、こういうのが向いてるかなって思って」

「フローラル系、ですね。あまり嗅いだ事がない香りですから、リリーのオリジナルということになりますか」

「べべべ別にわざわざオリジナルを作ろうと思ったわけじゃないのよ!? そう、ちょっと趣向を変えてみようと思っただけで!」

「でも、リリーがオリジナルを作るなんて、珍しいですね。フゼアヒール以来じゃないですか?」

 フゼアヒールは、以前作ったことのあるオリジナルだ。神経の昂りを抑える効能を持つ精油を入れて、リラックスできるような香りに仕立て上げてみたもの。安眠効果もある。我ながらいい出来だったと思う。

「この香水の名前は『フローラルマリン』なの。マリン系はちょっと挑戦してみたくて」

「そうですか。さわやかで、良い香りですね」

 ガラス瓶を目の高さに掲げ、キアは目を細めた。光が入り込んでキラキラとガラスが光る。

「少し……妬けますね…」

「え? なんて?」

 ぽつりと落された呟きが聞き取れなくて、わたしは聞き返す。
 キアはガラス瓶を元の位置に戻すと、何事もなかったかのようにわたしに向き直った。

「いえ、なんでもありません。…そろそろ夕飯の支度をいたしますので」

「あ、うん。ありがとう」

 キアはお茶のセットを持って、部屋を出て行った。

「……さて」

 『フローラルマリン』の仕上げをしますか。
 ぽんっと脳裏に浮かび上がったクロセルの笑顔を、ブンブンと頭を振って追い払い、わたしは香水作りに集中すべく再び机に向かった。


                ***



 来てる、かな?
 わたしは、そわそわと肩までしかない髪をいじった。あの公園は既に目の前だった。
 落ち着かない。買い物ついででもないのに公園にやってくるなんて、もしかしたら初めてかもしれない。
 手元にはラッピングされた箱。あんまりピッチリとするといかにも張り切ってるみたいだし、かといって乱雑にするのも嫌なので、わたしは念入りに注意してそれをラッピングした。
 薄い水色に、華奢な細いピンクのリボン。中には、夜更かしして頑張って仕上げた香水。
 
「……よし!」

 わたしは小さく声を上げ、気合を入れる。
 期待と不安を揺らしながら、わたしはそっと、公園に――クロセルに向かって足を進めた。

「クロ、セル……?」

 なぜかうまく呂律が回らない口で、おはよう、と言いかけ、いつものベンチにクロセルがいないことに気がついた。
 ……数学の先生って言ってたもんね。実は忙しいのかもしれない。
 それでも、言いようのない不安が心を占めている。なんだろう、この嫌な感じは。
 わたしはもやもやとした気分のまま、クロセルの特等席に勢いよく座りこんだ。鉄製のベンチは、なんだかひどく冷たかった。

「……って……ろう…」

「……も……、……ない…」

 ?
 誰かの声が聞こえる。声の調子からして、どうやら言い争いをしているようだ。
 うーん、既視感(デジャヴ)がするなぁ。
 そうだ。あのときは確か、クロセルともう一人、学生服を着た女の子がいたのだ。
 わたしは、慎重に物音をたてないようにして、あのときと同じ木立に歩み寄った。
 そうっと木陰から覗きこむ。

「…じゃないって言ってるだろう!?」

「先生! あたしは先生のことが忘れられないの!」

「俺は忘れてほしいって言ってるんだ!」

 そこには、言い争う男女の姿があった。一人は、くすんだ金髪に鳶色の瞳を持つ青年――クロセル。もう一人は……あのときと同じ子。つややかな黒髪の女学生だ。
 彼女は今にも泣きそうに顔をゆがめ、言い放つ。

「なんで? あたしたち、あんなに愛し合っていたのに…」

 そんな彼女に鋭い一瞥をくれ、クロセルも言い返す。

「独りよがりもいいところだよ。俺は君を愛したことなんかない。君が一方的にまとわりついてきただけだ」

「いいえ! 先生はいつもあたしに、あたしだけに甘い言葉をささやいてくれたわ!」

「甘い言葉? 君だけに? そんなわけないだろう。君は、俺にとってはその他大勢の一人さ」

「ひどい…! あたしは、あたしはずっと待ってたのに!」

「何を? 俺にプロポーズされるのを?」

「決まっているじゃない! 先生。あたしだけを見て。あたしだけにとらわれていればいい、他の何も見る必要はないの!」

「聞こえなかったのかい。俺は君のことを特別大事だと思ったことはないんだよ」

 これは…、世に言うストーカーという奴なのだろうか。それに、クロセルは付きまとわれている?
 わたしは木陰のそばにたたずみ、喧嘩の続きに耳を傾けた。

「それに……、俺には既に好きな人がいるんだ」

 !!!!!
 クロセルの言葉に、頭が真っ白になった。
 遠くで、バコン、という何かが落ちる音。
 目の前の二人が振り返るのと、わたしが駆け出したのと、どちらが速かったのか、脱兎のごとく走り出した私にはわからなかった。

「リリー!」

 わたしを呼ぶ声が聞こえたような気もするけど、わたしは決して振り返らなかった。

「…リリー?」

 気づいたら、わたしはちゃんと自分の家に帰っていた。
 突き飛ばすようにしてドアを押しあけると、キアが驚いた顔をして、駆け寄って来るや否や、顔を覗き込んできた。

「どうしたんですか? いったい何が? 襲われたんですか?」

「別に、襲われて、ない、」

「じゃあ、なんで泣いてるんですか」

 泣いて、る……?

「ふぇ、……」

「な、泣かないでください」

 キアはおろおろしながら、わたしの背を撫でてくれる。そうされると、安心してさらに涙があふれてきた。
 ―――なんで泣いているのか、わたし自身にもよくわからなかった。


13/03/21 18:45 up
ぐみ
BACK NEXT