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〜アスタロテside〜 「はぁい、オリアス。ちょっと頼みがあるのだけれど」 昼休憩になる少し前、アスタロトに重病人の急患が入ったのを見計らって、私は白衣の後ろ姿に声をかけた。 彼は院長室に入ろうとしていた足を止めて、大きなため息をつく。そして、あからさまにうんざりした顔でこちらを振り向いた。白に近い銀の髪が翻る。 「おまえの頼みは厄介事の匂いしかしない」 「やぁねぇ。私だってそう何回も『どうしても縁を切りたい人がいるから、縁を切る方法を教えて』なんて言わないわよ」 「あのときは本当に大変だった…」 若干遠い目になるオリアス。私は聞こえなかったふりで無視した。 「相談したいことがあるだけよ」 「なんだ? 弁護士ならベリアルがいるだろう」 「違うわよ。本当に鈍いわね」 やれやれとため息をつく。オリアスは変なところで鈍い。占いを得意とする彼のこと、普段は勘がいいのに。 「ほう。まあ、聞くだけ聞いてやろう。解決するかどうかは聞いてから判断する」 「疑り深いわね」 お前のことだからな、とオリアスは再びため息をついた。そして、開けかけていた院長室の戸を開ける。 「入れ。手短に話せよ」 「言われなくてもそうするわ」 だって私、貴方を心底信用しているというわけではないもの。 *** 院長室―――オリアスの部屋は、相変わらずセンスがおかしかった。 ロココ調の戸棚の中にはトロピカルを思わせるグラスがずらりと並び、明るい緑のソファーの上には、『Yes! We can!』という文字の躍る派手なクッションが無造作に置かれている。 「適当に座れ」 ひときわ異彩を放っている、明るい黄色地に、紫で謎の地上絵っぽい何かが染め抜かれたタペストリーを眺めながら、私はひとりがけ用の多少はマシな茶色いソファに座った。 「ねぇ。これ、お客を呼ぶ時もこの状態なわけ?」 「当たり前だろう。客のために、最高に居心地の良い状態にしているんじゃないか」 馬鹿なことを、と言わんばかりの表情で見つめられ、私は閉口した。オリアスのセンスのおかしさは筋金入りのようだ。 「それで。相談とはなんだ」 「ああ。そのことなのだけど、他言無用にしてくれる?」 「内容によるな。あと、言わないという保証はしない」 にべもなく言い放つオリアスに、肩をすくめて見せる。 まあいいわ。悪魔が保証なんて、らしくないにも程がある。それに、オリアスとて馬鹿ではない。秘密に値すると思えば、黙っていてくれるものだ。 「そうね。じゃあ言うわ」 少しかさついた唇をぺろりとなめ、私はにっこりと笑んで、オリアスを真っ向から見つめた。 「実はね、―――――――」 〜ヴァラクside〜 今日は、珍しくリリーが来ていた。 ふわふわした茶髪、やわらかな笑顔。 彼女は、そこに存在しているだけで空間を明るくしていると思う。それでね、と一生懸命に話しかけてくるリリーを眺めながら、僕はぼんやりとそんなことを考えた。 「ヴァラク、聞いてる?」 唇をとがらせてそんなことをいうリリーに、心臓のどこかがきしんだような音を立てた。ひゅう、と冷たくなったようなそれに、気付かないふりをしながら答える。 「……聞いてる」 「本当? なんかヴァラク、最近ぼーっとしてるよね」 「そう……?」 こてんと首をかしげて、しらばっくれる。 君のことを考えてぼーっとしてる、なんて言えない。そんなことを言われても困るだけだろう。 「そういえば、アスタロテもなんか様子がおかしかったし…。なんかあったの? 喧嘩?」 「……ああ、アスタロテがおかしいってのは、僕も思ってた」 でしょ? とリリーは紅茶を飲み干して言った。僕はすかさずお代わりをカップに注ぐ。 「様子がおかしいから、何かあったのかって聞いても、ヴァラクのところに行けとか言うばっかりだし。仕事上手くいってないのかなぁ……」 「仕事は、アスタロトもいるから……」 「だよねぇ」 そもそも、あのアスタロテが仕事で失敗するとは思えない。 それはリリーも思ったらしく、これ違うわ絶対違う、なんてひとりで頷いている。 アスタロテ―――といえば、先日、僕に誘惑の手練手管を(一方的に)教えてくれたことを思い出す。実行するなら今なんだろうけど、どうしても実行する気にはなれない。 「ねぇ、ヴァラクは何か知ってる?」 きょとんと大きな瞳をまっすぐに向けられる。僕は心に苦いモノが広がるのを感じながら、さりげなく視線をそらした。 知ってるも何も。 アスタロテがおかしくなったのは、多分、僕が失恋したときからだ。そこで彼女の心情に何が起こったのかは僕には分からないけれど。 「たぶん、なんとなくは」 「え、なになに、教えて」 「……ごめん、僕からは、教えられない」 まだ。 そう付け加えようとして、僕はふと思いついた。気持ちの整理の付け方を。 「……そっか。そうだよね、勝手に教えてとか言ってごめん」 しゅんとなって謝ったリリーを、今度は僕からまっすぐに見つめる。 頭の片隅でゆっくり言葉を選びながら、とりあえず口を開く。 「やっぱり、今の嘘」 「?」 「アスタロテがおかしい理由を、僕はちゃんとは知らない。……けど、きっかけになったことなら、リリーに伝えることはできる」 不思議そうな表情で僕を見つめるリリーを見ながら、僕は心がねじれるように痛むのを感じていた。 悪魔なのに。 心は、しっかりこの脳裏で、心臓で、お腹の中で、呼応するように存在している。 すう、と息を吸って空気を震わせる。 「僕、実は――――」 嗚呼。言ってしまえば、すべてが終わってしまうことが分かっているのに。 でも、きっと『けじめ』は必要なのだ。失恋をずるずると引きずるのが良くないのは、僕だってよくわかっている。 たとえ、それが僕の心を傷つける結果になるって分かっていても。 「―――――ずっと、ずっとリリーが好きだったんだ」 小さな庭園の中で、静かに、僕の言葉が落ちた。
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