波乱は紅茶と共に NEXT

〜ヴァラクside〜

 今日は、久しぶりに街の方に来てみた。
 もしかしたらリリーに会えるかもしれない、そんなかすかな期待がなかったと言えば、嘘になるかもしれない。
 最近、いつも僕のお茶に付き合ってくれるリリーが来ない。
 …別にさびしいわけじゃない。ちょっと、気になってるだけだ。
 それに、決してリリーだけが目当てなわけでもない。ちょうどお気に入りの紅茶が切れたところだったから、買い物に来たのだ。
 ………………。
 嘘だ。
 僕はリリーが気になってるし、紅茶が切れたなんて、言い訳に過ぎない。いつもならオリアスに押し付けるもん。


 僕はそんなことを思いながら、ひいきにしている紅茶店を物色していた。
 ずらりと並ぶ紅茶。棚の端っこのほうに、申し訳程度のコーヒー豆。ブランド物のカップやポット。
 異国の文字で何事か書かれた紅茶の缶を片手に、僕は何気なくウインドウの外をうかがいみた。

「げっ…」

 瞬間、普段の自分では考えられないような声が、勝手に口から漏れ出た。
 そこにいたのは、赤毛の美女――アスタロテだった。
 僕はアスタロテが苦手なのだ。なんというか…怖いっていうのが、一番近いかもしれない。
 彼女はこっちに気づいていないようだった。見事なストロベリーブロンドの巻き毛をいじりながら、向かいの店のド派手な靴を見つめている。趣味が悪いからやめたほうがいいと思う…。
 あんまり見ていると気づかれるかもしれないので、僕はそうっと視線をそらし、さりげなくウインドウが見えない位置に移動する。

「ふう…」

 知らず吐息が漏れた。本当にアスタロテが苦手なんだから仕方ない。
 移動した場所は、付属品の売り場だったらしい。角砂糖やグラニュー糖、カップやポットやスプーンが、所狭しと並んでいる。
 ふと、流線形の美しいシュガーポットが目に入った。真っ白な陶器に、細密に描かれた薔薇。取っ手の部分にはこまごまと葉が描かれている。
 僕の趣味じゃないけど、リリーなら……これを気に入るかな?
 吸いつけられるようにして、僕はシュガーポットを手にとり、じーっと見つめる。
 なんとなく、気になったのだ。

 だから、気付けなかった。
 後ろからやってきた、僕の一番苦手な人物に。

「はぁーい、ヴァラク」

「ひうっ!?」

 肩が跳ね、およそ自分のものとは思えない声が漏れ出た。
 手に持っていたシュガーポットを落としそうになり、慌てて持ち直す。

「だ、誰…」

「わ・た・し・よ。アスタロテ」

 背後を振り返ると、ぱちん、とウインクを放つ、派手な美女がいた。
 ・・・・・・・・・・・・今日は厄介な一日になりそうだ。
 僕は小さくため息をついた。




〜アスタロテside〜


「はぁ……朝っぱらから胃もたれしそうね…」

 先ほど会った(遭った)カップルを思い出し、私は眉根を寄せる。
 クロセルとリリーちゃん。前途多難と思われた彼らの交際は、どうやら順調らしい。
 ええ! 順調なのは結構よ!
 クロセルの溺愛っぷりが胃もたれしそうなほどに甘い上に、独占欲が強いったらもう。
 おかげで、今日は一人で買い物する羽目になった。せっかくリリーちゃんとショッピングに行きたかったのに。
 弟のアスタロトと行けば? なんて、リリーちゃんには言われたけれど、個人的にそれは避けたい。
 アスタロトとは、根本から好みが違うのだ。だから、好みの問題で喧嘩になることもしばしば。せっかくの休みを喧嘩でつぶすなんて御免だ。
 今日は、週に一度の定休日なのだ。まあ、急患が入ったら私も駆り出されるだろうけれども。

「はあ…やんなっちゃうわ」

 ショーウインドウの中の真っ赤な靴を見つめ、私は小さくつぶやいた。
 …あの靴いいわね。買おうかしら。
 赤くつやつやしたエナメル。黒のレースがあしらわれたつま先。もちろん、ヒールは思い切り高い。
 しばらく考えて、私はやっぱりやめておくことにする。
 散財することでストレス発散なんて、なんだかばかげている。それに、よく考えたら似たような靴を持っていたような気もする。

「……コーヒーでも買って帰りましょうかね」

 仕方なく、私は早々に帰ることにした。
 ちょうどコーヒーが切れていたところだ。何も買って帰らないのもどうかと思うので、靴屋の前に位置する、贔屓の紅茶・コーヒー専門店へと足を踏み入れる。
 ここはお気に入りの靴屋の正面にあるうえ、私の好きな種類のコーヒー豆を置いてある数少ない店なのだ。贔屓にするのも当然だ。
 カラーン…
 扉をくぐると、涼やかな鐘の音が私を迎えてくれた。
 ずらりと並ぶ、紅茶の缶。コーヒーは棚の隅の方に追いやられてはいるが、一通りの品は揃えられている。
 迷いなく目的の銘柄の品を見つけ、私はレジへと向かう。

「………あら?」

 何気なく視線をそらした先に見知った顔を見つけ、私は小さく声を漏らした。

「どうかなさいましたか?」

「…いえ、なんでもないわ。ありがとう」

 律儀にも気遣ってくれた店員から商品を受け取り、さっさと代金を払うと私は彼へと近付いて行った。
 さらりとした、肩のあたりより少し短い銀髪。左右で微妙に色の違う、くるんとした瞳。少女と見紛う端正な美貌。私の肩のあたりよりも低い背丈。
 ……間違いない。ヴァラクだ。
 どうしてこんなところに?
 彼はいつも法廷事務所の庭園に引きこもっている。というか、そこから出てるところを見たことがないのは私だけかしら。
 とにもかくにも、いくらここが紅茶専門店だからって、彼がここに一人でやってくるのは滅多に無いことだ。いつもなら師匠のオリアスに押し付けるところだろうし。
 ヴァラクはシュガーポットを手に持っていた。……気に入ったのかしら。私の知る範囲では彼の好みではないと思うのだけれど。
 ……ま、陰からこそこそ見るなんて、ほめられたことではないわよね。
 私は、そうっとヴァラクの後ろから回り込むと、軽く声をかけた。

「はぁーい、ヴァラク」

「ひうっ!?」

 びくっと肩を揺らし、ヴァラクは犯された少女みたいな声を上げた。手に持っていたシュガーポットを落としそうになり、ヴァラクはわたわたと持ち直す。

「だ、誰…」

 恐る恐るといった風情の問いに、私はいたって軽く答える。

「わ・た・し・よ。アスタロテ」

 勢いよく振り返ったヴァラクは、これ見よがしに重たいため息をついた。

「何よ、失礼な」

「…僕、帰るから」

「待ちなさーい」

 すい、と私の横を通り抜けようとした彼の腕をガシッとつかみ、私はさりげなく誘う。

「お茶でもいかが?」

「……お金持ってない」

「嘘おっしゃい。持ってないなら私がおごってあげるわ。お金は無駄に持っているから」

 露骨に嫌そうな顔になったヴァラクの顔をのぞきこみ、私はにっこりと続ける。

「い・く・わ・よ・ね?」

「…………」

 抵抗を諦めたヴァラクの腕をとり、半ば引きずるようにして、私は行きつけの喫茶店へと向かう。
 これでいい暇つぶしができるわ。
 ええ。ヴァラクって、なんだか面白いものを抱えてそうだもの。



***


「私はホットコーヒー。ブラックで」

「………ダージリン」

 注文を聞き届けてから、ぴょこんとお辞儀をして店の奥に戻った店員の後ろ姿を見届け、私はヴァラクを問い詰める。

「で?」

「……? 何が」

「何が、じゃないわよ」

 いかにも何か悩んでます、って顔してるじゃない。
 しかし、ヴァラクはまったく自覚していないらしく、無表情のまま軽く小首をかしげるばかり。
 ま、自分のことは一番分からないっていうしね。
 しばらくすると、先ほどの店員がコーヒーと紅茶を片手に戻ってきた。
 …やれやれ、こいつもあんまりおもしろくなさそうだし、やっぱりこれを飲んだら帰ろうかしら。
 そう考えながら、コーヒーを一口飲んだ時だった。

「……ない」

「……は?」

 うつむいてちびちびと紅茶を飲んでいたヴァラクが、ぼそぼそと何事か呟いた。
 聞き返すと、無表情の中にどこかふてくされた色を宿し、ヴァラクはやはり小さな声でもう一度言った。

「……リリーが、来ない」

「あら。リリーちゃんのことで悩んでたの?」

「………」

 ヴァラクは黙ってうつむいてしまった。
 でも、私は見逃さない。ヴァラクの真っ白な頬が、少し赤くなっていたことを。ふふっ、うぶね。これくらいで動揺するなんて。

「それで? リリーちゃんがヴァラクの庭に来ないと」

 正しくは法律事務所の庭園なんだけど、半ばヴァラクの私有地と化している。

「……最近、来ない。僕何かしたかな?」

「………………」

 さびしげに憂う、左右で少し色の違う瞳。切なげにうつむいた表情に、私はこともなげに答えようとした口を思わず閉ざした。
 リリーちゃんがヴァラクのもとに来なくなった理由。
 それはとても簡単なものだ。
 『恋人』ができたから。
 でも、それを今のヴァラクに告げるのは少々残酷な気がした。
 少しの逡巡ののち、私は答えた。

「……ちょっと風邪気味みたいよ。処方箋出しといたから、大丈夫だと思うわ」

 …………私は、嘘をつくことにした。
 理由? 単なる気まぐれよ。それに、変にリリーちゃんに影響が出ても困るしね。

「そう……。なら、いいや」

 こくこく、とあどけない仕草で紅茶を飲み干すヴァラクを見て、私はふと思う。
 どうせ叶わない恋なら、早めに現実を見せたほうがよかったんじゃないかしら。
 ………まあ、いまさら考えてもどうにもならないわね。





 後ほど、この選択を悔むことになるなんて、私は全く考えなかった。




14/01/23 20:18 up
ぐみ
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