|
||
〜アスタロテside〜 「はあ……」 本日何度目かの重苦しいため息をつきながら、私はカルテをバサッとデスクの上に投げ置いた。あの日から、すでに一週間が経っていた。 「どうした、アスタロテ。今日はずっとため息ばかりじゃないか」 「どうだっていいでしょ。ほら、私にもコーヒーよこしなさい」 「やれやれ、心配してやったというのに」 肩をすくめつつも私にコーヒーを渡してくれるアスタロト。昔から、なんだかんだと言いつつ私に丸め込まれてくれるのだ。 「それで?」 私の隣の椅子に座り、どかりと足を組んで、彼は言った。横柄な態度に軽くイラつきつつ、私は冷静に答える。 「……私が口を割るとでも?」 「はっ、俺たちがお互いのことで知らないことなどあったか?」 「そうね……」 おそらく0に近い。 お互いの好き嫌いはもちろん、恋愛遍歴からいつどこでなにをどうしたのかまで分かっている。 観念した私は、コーヒーを一口のどに流し込んでから、口を開いた。 *** 「はああああああああああっ!?」 「うるさいわよ……」 柄にもなく素で叫んだアスタロトに、いらだちを隠せない。 まあ、気持ちは分かる。あのヴァラクが、リリーに片想い。逆の立場だったら、私だって「無いわ〜」とつぶやいていたに違いない。 「しかも、ヴァラクの協力をすることになっただと!? 解せない…アスタロテの性格からしてそんなことはあり得ない…」 「るっさいわねぇ、仕方ないじゃない。流れでそうなっちゃったんだから」 「お前が流されるタマか! …まったくそんな面倒なもの放っておけばよいものを」 「そうよねぇ…」 他人事のように言う私に、アスタロトが怪訝そうな視線を向ける。 本当に、私だってなぜこんな厄介事を引き受けたのか分からないのだ。普段なら、どっちつかずの中立者、もしくは高みの見物をするのが常なのに。 なんで、私はこんなことで悩んでるのかしら。 「リリーにはクロセルがいる。これ以上厄介なことにならないように気をつけることだな」 「分かってるわよ。私だってバカじゃないわ」 それならいい、と上から目線の言葉を残し、彼はすたすたと診察室に戻って行った。やれやれ、いつからこんなに偉そうになったのか。 「…さて。私もカルテをまとめなきゃね」 ぬるくなったコーヒーを飲み干し、私は頭の中からヴァラクを追い出す。 ……のどを滑り落ちて行ったコーヒーは、妙に苦かった。 *** 「ねえ、ヴァラク。あんた、リリーちゃんのことが好きなんでしょ」 「……ごふっ」 ヴァラクがいきなりむせかえった。飲んでいた紅茶が気管に入ってしまったらしい。分かりやす過ぎるリアクションだ。 「なんで、分かったの」 涙目で上目づかいにこちらをうかがい見るヴァラク。くっ、あざといわ。 「なんでって」 ねえ? あんた顔中に書いてるわよ、リリーが好きって。 「…女のカンって奴かしら」 「ふぅん…」 適当に答えると、興味なさげに再びちびちびと紅茶を飲みだす。しかし、やはりその頬が赤く染まっていることに気づき、私は小さなため息をついた。 まったくもってもどかしい。 好きなら好きって言えばいいのに。実年齢はともかく、見た目は少年なヴァラクのことだから、クロセルよりもリリーちゃんにお似合いかもしれない。 正直なところ、クロセルもヴァラクもどうでもいい。私にはリリーちゃんと…そうねアスタロトもかしら? その二人と自分が幸せならばあとは何も構いはしないわ。 だから、ヴァラクの恋愛事情なんかに付き合ってやる義理も無いのだけれど… 「で、どこが好きなの?」 「けふっ、げへんげへんげへん、ごふっ!?」 盛大にむせかえったヴァラクを前に、私はすいとコーヒーをのどに流し込んだ。 私たちと同じくらい生きておいて、今更カマトトぶってんじゃないわよ。さすがに恋の一つや二つは…。 「よ…よく、分からない…でも……一緒にいて、落ち着く」 いつもあまり表情を動かさないヴァラクが、ふわりと笑んだ。きっと本人は気付いていない。 真っ白な頬がほのかに赤らんで、恋する乙女って感じだ。 私は小さくため息を漏らした。 ――こんな幸せそうな顔のヴァラク、見たことがない。なんだかんだで私たち悪魔は長い付き合いだ。多少の感情の機微はつかみとれる。 「初恋?」 「……そう、かも?」 かくり、と小首をかしげるヴァラク。 既に先ほどの天使の微笑は消えている。あるのは、人形じみたいつもの無表情。 「はあぁ……」 「?」 さらに首をかしげたヴァラクをよそに、私は再度重いため息をついた。 めんどくさい。 史上最高にめんどくさい事態になっている。 なんで、よりによって初恋の相手がリリーちゃんなわけ? きっとこれまでだって、掃いて捨てるくらいに美少女はいたし、器量よしの女の子だっていたわ。 何も彼氏持ちのリリーちゃんに横恋慕しなくてもいいのに。 「もういい、分かったわ」 「え……?」 伝票を持ち、立ち上がる。 きょとんと、色違いの瞳を瞬いたヴァラクに、私は静かに宣言した。 「私が協力してあげる」 リリーちゃんを煩わせるわけにはいかない。 なら、私が直々に片づけてあげるわ。 「本当に」 「ええ」 まっすぐこちらを見つめてくる双眸に、私は心の中でつぶやいた。 ―――――――――ちゃんとフラれるのを、ね。
|