翌日、彼女はぼんやりと重い気分ですごした。授業のあとは普段なら写真を撮ったり、露天市へ向かうことが多い。しかし、その日は気疲れからすぐに帰宅することにした。友人と話をしながら校門へ向かうと、そこに見覚えのある人影があった。彼女の抱える憂鬱の原因だ。彼はいつもの笑みを浮かべて、門柱にもたせかけていた身体を起こした。自分を待っていたのだろうと、彼女は友人を見送ってひとりになった。
こんにちは、と近づいてきたシーンバインはにこやかに挨拶をした。それから、昨日のことを詫びて、あの写真集を取り出した。
「これを、お詫びに受け取ってもらえませんか」
彼女は差し出された本を一瞥して、すぐに首を振った。そうしてうつむき、ぽつりと言った。
「次は、なにも持たずに来てください」
彼は少し驚いたようだったが、すぐに気を取り直した。
「では食事でも?」
やわらかな声色で尋ねるが、彼女はやはり首を振った。
「豪華な食事も、ホテルの予約もなにもいりません。なにも飾らず、身ひとつで迎えにいらしてください。ただし、商談はいっさいしません。それでもよければ」
彼女は噛みしめるように言葉を紡いだ。うつむいたまま、両手でぎゅっとカバンを握り締めている。まるで涙をこらえているように見えた。シーンバインは動揺の色を浮かべることなく、穏やかに答える。
「ええ…構いませんよ。しかし、それではあなたの利益はありませんね」
「それはシーンバインさんも同じです。作品の利権をなしにすれば、私はただの小娘ですから」
彼女は顔をあげ、しかし彼から目をそらして、早口に言った。彼はその様子を観察しながら、声をかける。
「では、なんのために」
すると彼女は一度シーンバインの目を見て、また深くうつむいた。
「価値がないと思われるなら、いらっしゃらなくて結構です」
「いえいえ。美しい女性の誘いとあっては、断る理由はありませんよ」
彼女の声が、震えて聞こえるのは気のせいだろうか。シーンバインはわざと明るく返事をした。すると彼女はいままでの頼りなさはどこへやら、すっきりとした顔をあげて「ついでに、その軽口も置いてきていただけるとありがたいですね」と憎まれ口を叩いた。
「これは手厳しい。それでは明日、校門までお迎えにあがります」
そう言って笑顔を向けると、彼女は驚いたように声を漏らした。
「スケジュールは平気なんですか?」
「ええ、食事の時間を削ればね」
それは急な用事ができたときによく使う手だった。スケジュールの調整に使うのはいつも食事か睡眠の時間で、商談などにはたっぷりと時間を割いていた。そうすることで取引相手に誠意を伝え、自分の会社を護っていた。食事を削るくらいは、彼にとっては日常茶飯事のなんでもないことだったのだ。
彼女は少し考えるようなそぶりを見せた後、遠慮がちに尋ねた。
「待ち合わせ場所を美術館前にできますか」
「ええ、もちろん構いませんよ。では、また明日」
そう言って、彼は運転手つきの車に乗り込んだ。その去っていく様子を見届けて、彼女は帰路に着いた。
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