俺は昔から知っている。
一番欲しい物は手に入らないことも、
諦めきれないことも。
「シューイエ!」
滑らかな声が、耳から滑り込んでくる。
そのたびに跳ね上がる鼓動は彼女を見て更に早くなり、うまく言葉が出ない。
「お、おはようございます」
彼女はにっこりと笑顔を浮かべて、俺に手を伸ばした。
反射的に目を瞑ると、楽しそうに彼女は声を上げて笑う。
「葉っぱ、ついてただけだよ」
途端に血が逆流して、顔が熱くなるのが分かった。
しかもありがとうございます、と自分で驚くほどに消え入りそうな震えた声が微かに出ただけだった。
でも彼女は気にする素振りもなく、俺の横にやってきて植物を愛おしそうに眺めた。
「シュイエのおかげで、こんなに綺麗な花をみられるんだね」
「い、いえ…」
ちらりと彼女をみると、真っ黒で艶のある長いストレートの髪が風にふわりとゆれていた。
彼女はこの国に来てからますます美しくなっていて、それは今や国中で噂されるほどだ。
ふいにアーモンド型の瞳が俺の視線と絡む。
「す、すいません」
彼女は不思議そうに小首を傾げながら、手に持っていた分厚い本を少し持ち上げた。
「今からアルト様の授業なの」
「そう、ですか。アルト様の…」
「だからもう行くね」
「…はい」
「ばいばい、シュイエ」
反射的に延びた手が無意識に彼女を掴もうとして、我に返った。
―彼女のことが好き、だ。
けれどいつか、彼女はこの宮殿を、国を出ていってしまう。元の国に帰ってしまう。
俺には到底分からないけれど、名声と富を得るような学者になるんだろう。
それに比べ、俺はこの国から出ることさえ自由にできない身。
それに俺が出ていってしまった後はどうなるだろう?
庭園が荒れ果ててしまったら、それこそ彼女は悲しむ。
つまり俺が出来ることなどこの庭園を綺麗にすること位しかないのだ。
彼女はきっと知らない。
俺が貴女を好きなことも、
俺が貴女を思って泣くことも。
彼女の背中を探すように宮殿を眺めたけれど、何故か視界が滲んで見えなかった。
もう差別されることも失うことも手に入れられないもどかしさにも慣れているはずなのに。
行き場のなくした手を強く強く握りしめるしか、今の俺に術はなかった。
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