春も近付いてきた今日この頃。あちこちで蕾がほころび始め、同時に雑草などが芽吹き始めるこの季節、庭師たちは多忙な時期である。
 もちろん、まだまだ下っ端の俺もしかり。
 今は東の庭園にて、土の入れ替え作業中。これが終わったら、中庭に花の植え替え作業をしに行かなければならない。
「…ふう」
 土を掘り起こしていたシャベルを土に突き刺して、俺は一息ついた。まだ肌寒い日が続くとはいえ、肉体労働中の体はほかほかと温かい。
 汗のにじんだ額を手の甲で拭う。
 と、向こうの廊下に、見慣れた人影を見つけた。ひるがえる白衣姿に、胸を高鳴らせながら、俺は精一杯の声を張り上げた。 
「お、おはようございます!」
 ビクッ、と彼女の肩が面白いくらいに跳ねあがり、直後、
 ドンガラガッシャアアアアン
 と、何か…というか、腕にたくさん抱えていたフラスコが一斉に落っこちた。
 …どうも驚かせてしまったようだ。
「あわわ、はわわわわ…」
「ご、ごめんなさい…怪我は、無いですか?」
 慌てて走り寄ると、やはりフラスコが割れてしまっていた。飛び散ったガラスの破片が、日光を反射してキラキラ輝いている。
「だ、大丈夫。ごめんね、仕事の邪魔しちゃって」
「そんな…とんでもない。突然声をかけた俺が悪いです」
 どうも、アルト王子の授業から研究室に帰る途中だったらしい。前に、色の勉強をするのだと嬉しそうに話していたから。
 拾い上げたガラスの欠片は、色水の余韻を残して色とりどりに光っている。
「わわっ、割れちゃってる!」
「あっ、そんなふうに触ったら…」
「痛い!?」
「……」
 遅かった。彼女の真っ白な指に、みるみる血が滲んでいく。
「あー…やっちゃった」
 痛そうに傷口をなぞりながら、彼女は苦笑した。
「あの、こちらをどうぞ」
 ポケットから絆創膏を取り出し、教授に差し出す。枝にひっかけたり、とげが刺さったりすることも多いので、俺は常に絆創膏を持ち歩いているのだ。
 …って、ああ、そうか。指にけがをしていたら貼りにくいんですね。
 俺は差し出した絆創膏を取り下げ、自分で裏紙を剥いで、彼女の華奢な指に巻いた。
「すぐに血は止まると思いますけど…戻ったらちゃんと消毒をされたほうがいいでしょう」
「ありがとう。…シュイエは優しいね」
「い、いえ…」
 人として当たり前のことをしたまでです。それに、俺は貴方のことが―――。
「あ、そうだ。これ片づけなきゃいけませんよね。ちょうどさっき、土を入れていた袋が空いたんです。それに入れて捨てれば、ごみを処理する人も怪我をしないと思うので」
 土の入れ替え作業でよかった。土を入れてある袋は、用途上、頑丈な物が多い。
 このガラスの処理を、忙しい宮廷人に任せるのも、ましてや彼女にさせるのも気が引ける。幸いにして、さっきの作業はもうほとんど終わっている。ささっとやってしまえば、あとの予定にも響かないはずだ。
「えっ、ちょ、ちょっと待っ…」
「すぐ戻ります!」
 俺は言って、出来る限りの速度を出して走った。といっても、作業場所はほんの五十メートルほど先なのだが。
 …そういえば、彼女が何か言いかけていたような。
        ***
「あうー」
 どどど、どうしよう。
 本日、三月十四日。我が祖国ではホワイトデーなる行事が催されている日付である。
 というわけで、バレンタインデーにチョコレートをもらった私は、お礼をしようと思ってプレゼントを持ってきたのだけれど。
「…フラスコ割って、絆創膏もらって、挙句の果てにその片付けもさせようとしてるなんて…」
 どうしよう。なんか迷惑しかかけてない。
「しゅ、シュイエがいきなり声かけるから…」
 と、責任転嫁をしてみるが、彼にはなんの罪もない。
 わたしがシュイエを意識しすぎたせいだ。
 結局のところ、全部身から出たさびだということには気づいている。わたしはがっくりと肩を落とした。うらうらと背に当たる陽光は、無駄に温かくのどかだ。
 しょんぼりと右手人差し指に巻かれた絆創膏を見やり、白衣のポケットに収まるラッピング袋を見やり、そして庭の向こうのほうから何やら持ってきているシュイエを見る。
「…どうしよう」
 いつ? いつ渡す。『今でしょ!?』と脳内で某講師が叫んだが、ひとまず脳内から退場。
 あまり迷っている時間は無い。でも、なんかこう…心の準備が!
 嗚呼、バレンタインのときに躊躇していたシュイエの気持ちが分かった…。
 やっぱりこう、何でもない感じにフランクに渡すのがいいのかな。いやでも放課後の教室で…って、ここ学校じゃないから、職場だから! ていうか、バレンタインにキスしたのって、まだ有効かな。あのときはちょ
	
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