彼方が教えてくれた、景色の良い場所。
彼方が直してくれたパソコン。
朝、階段から降りてくる彼方が私に掛けてくれる優しい声。
夜、お帰りと向けてくれる笑顔。
下宿すると決まったとき、「ようこそ。」って言ってくれたこと。
全部が、嬉しかったんだよ。
どこか上の空の様子で、包丁を握る少女を、セルトははらはらしながら見つめていた。
あの日、ミルズに盛大に誤解されてから、当たり前だが目の前の少女は元気が無い。
あの日の夜は泣いていたのか、次の日の朝は目が赤かった。
けれどいつものように、元気を装って挨拶をして、学校へ出かけていった。
事情を知らない人間から見れば、少女はいつもと変わらぬ様子に見えたことだろうと思う。
けれど、事情を知っているからこそ、セルトはかける言葉が見つからなかった。
それでも何を考えているのか、あの日話していたミルズの誕生日を今日に迎え、お祝いの為の料理を少女は作っている。
「‥‥‥おい、大丈夫か?」
「うん、こう見えても料理は得意なんだから!」
そのことじゃない。
と言いかけて、余計に気を遣わせてしまうかと口を噤んだセルトは、自分の手元を見下ろした。
少女に言われて作っているミルズの誕生祝いの料理、気分のせいかいつもより手際が悪いと自分でも思う。
とりあえず、スープを作る為の鍋に切り終わっていた野菜を放り込むと、火にかけた。
蓋を閉めて、もう一度となりの少女を見やれば、視線を落として切りかけのオレンジをボーっと見つめていた。
そして、静かな声でポツリポツリと話し始めた。
「私ね、ミルズさんは大人だから、大切だって思ってる気持ちは、言わなくても分かってくれるものだって思ってた。」
それは、少女がまだ子どもゆえに思い込んでいた勘違い。
「でも人って完璧なわけじゃないから、それじゃ伝わらない事もあるんだよね。」
伝えなかった事、言えなかった想い、それ故に消えてしまった感動。
生きていればそれは日常茶飯事に起こるし、忘れてしまった事だって沢山あるだろう。
だからこそ、伝えたい想いはきちんと伝えなくては、その想いは自分の中で泡のように消えていってしまう。
「ミルズさんには、ミルズさんの考えている事があるんだって分かるよ。でも‥‥‥」
”言えない事で、色んなものに蓋をして誤解したままなんて哀しい”と、それが彼女の答えだった。
それを聞いてセルトは、少女の頭に手を置いてぐしゃぐしゃと撫でた。
こ、子どもじゃないんだから!?と抗議の声を上げる少女に優しい笑みを浮かべて、
頑張れよ、といつかと同じ言葉を短く贈った。
その言葉に何かが吹っ切れたのか、考えるように目を閉じて、少女は力強く頷いた。
少女は自分が小難しい、遠回りな駆け引きは出来ないことも知っていた。
正直に、この気持ちを伝えるしかないんだ、と。
「もう全部買ったかな‥‥‥」
ありがとうございました、という言葉を背に受けながら店を後にした少女は、
紙袋に入った荷物を抱えながら大通りを歩いていた。
ミルズさんに誤解されてしまったあの日から、既に3日が経っていた。
色々話したいことがあるのに、あの日から少女はミルズさんに会うことが出来ないでいた。
それというのも、ミルズさんがバールに帰ってこないからというのが、一番の原因。
セルトに聞いたところ、昼間も一度も帰ってきていないらしい。
少女は溜息も出ないほど心配だし、不安だった。
けれど、ミルズさんの行くところに当てがあるわけも無く、探そうにも探せない。
どうしたものかと、荷物を持ち直してふと通りの向こうを眺めた時だった。
「‥‥‥ミルズさん?」
人混みにまぎれて、見間違うはずのない顔が見えた。
声をかけようと思ったものの、ミルズさんは少女の知らない人たちと話していて、
なんだか、声を掛けられるような気軽な雰囲気ではなかった。
この前の事が気になって、少女の足を迷わせる。
そうしている間にも彼らの話は終わったようで、短く会釈をして彼らと別れた後、
人の流れに合わせるように、ミルズさんも向こうへ歩いていってしまった。
「セルトセルト!」
「だから落ち着けって、いつも言ってるだろ!」
買い物から帰るなり、いつも通りドアを開けっ放しにしてカウンターまでかけてくる少女。
テンプレどおり落ち着けといってみるが、今までそれが効果を示したことは無い。
夕食を終えたところらしいモルガンさんが、カウンターでセルトの言葉に苦笑した。
そんなモルガンさんを恨めしそうに一瞥して、今度は何だとセルトが聞けば、
さっきミルズさんを見たのだと、少女は話し始めた。
「それで、結局声は掛けられなかったんだけど。」
「‥‥‥‥‥。」
「セルト?」
「兄貴、帰ってくるかもしれないけど、すぐにま
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