読切小説
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ヴォルクの心配事
「ふう、やっぱり森は気持ちがいいなあ」


アルトの個人教授であるミカは、森に散歩をしに来ていた。
ちょうど今日が授業の日で、ミカは少しの説明で何でも理解してしまうアルトに
感心していた。


「やっぱりアルト様はすごいなあ…。私の授業も、
 もうそろそろ必要なくなってくるかもしれないな」

「ねえ、それって本当?」


突然聞こえた無邪気な声に周りを見渡すと、辺りには誰も居ない。


「こっちだよ!アルトの先生」


その声の持ち主は、ミカの近くにあった木の上からまだ幼さの残る笑顔を向ける。


「レルム様!?そんなところに居ては危ないですよ!降りてきなさい」

「ちぇ、分かったよ」


レルムは器用に小さな体を使ってするすると木を降りてくると、
衣服についた葉も気にせずにミカに駆け寄ってきた。



「ねえ、本当にアルトの先生を辞めるの?」

「どうでしょうね。でもアルト様は飲み込みが早いですし、
 頭もとても良い方ですから…そうなるかもしれませんね」


ミカは最近のアルトの研究を思い出していた。
もし個人教授を辞めることになれば、この宮廷にいる必要はなくなってしまう。
それは今の生活、ミカにとって大切な人々との別れを示していた。


「本当に?辞めるなら次はレルムの先生をやってよ!」


そんなミカの心もいざ知らず、きらきらした笑顔でそんなことを
言ってみせるものだから、ミカは苦笑してしまう。


「レルム様の先生は、大変そうですね…」

「そんなことないよ!今の先生の授業、つまんないんだ。
 授業中にイタズラすると叱られるし」

(それは当たり前なんじゃ…)


幼くて無邪気なこの少年を見ていると、"今の先生"の苦労は
とてつもないもののように思われる。
ミカは心の中でそっとレルムの先生に同情した。


「ねえ、レルムの先生になってくれる?」

「そうですね…。レルムさまがもう少し大人になって、
 思慮分別が分かるようになったらいいですよ」

「えー。アルトの先生も皆と同じこと言う!
 大人って大人が好きなんだ」

「好きとか嫌いとかではなく…」


ミカが言葉を続けようとした瞬間、目の前の少年の姿が大人に変わった。


「わっ!もう、驚かせないでくださいよレルム様。
 それに、姿だけ大人になったって駄目ですよ」

「ちぇっ、じゃあ先生のコイビトにしてよ」

ミカより幾分高くなった身長のレルムには、子供っぽさの欠片も感じられず。
声変わりした透明感のある声には色気さえ漂っているような気がする。


「いけません」

「ええー。んじゃ今だけでいいからコイビトごっこしよう!」

「ちょ…っレルム様!」


レルムはミカの手を握ると森の奥に向かって走りだした。


「森の奥は危険です!レルム様、戻りましょう」

「もうちょっとで着くからさ!」

「…どこに!?…っもう」


ミカはレルムに連れて行かれるがまま、必死に足を動かしてついて行く。
そして、たどり着いた場所。
木が生い茂る場所から一歩開けた、芝生が生い茂り、小さな花が風に首を揺らしている。
真ん中には小さな湖があり、日の光を受けてきらきらと水面が輝いていた。


「…綺麗」

「でしょ?先生に見せたかったんだ。
 ここはレルムとアルトしか知らない秘密の場所だよ。
 じゃあ、コイビトごっこしよう!」

「コイビトごっこって…一体何するんですか?」

レルムはミカの手を握ったまま、ミカのほうに向き返った。
そして、真剣な眼差しを向ける。


「貴女のことをずっと、お慕いしておりました」


先ほどまで無邪気さを残していたその表情、声には
もう一切そんな面影はなくて。
驚いて何も言えないミカは視線を逸らすことができないまま。
さらさらと吹く風は二人の間を通り抜けていく。


「身分の違いなど関係ありません。私は貴女に恋をしてしまった…
 どうしても、手に入れたくて堪らないんです。」


レルムはミカの手をとって跪き、まっすぐに目を見据えたまま言葉を続ける。


「貴女のことを、愛しています」


そして、手に触れるか触れないか、そっと唇を手につける。
ミカが何も言葉を発することのできないままでいると、
レルムは立ち上がってにっこりとミカに微笑みかける。


「前、劇場に行ったときに見たんだ。どうだった?コイビトごっこ」

「…も、もう!これじゃあ私は何もしていないじゃないですか」

「先生にもすることはあるよ?」

「レルム様!何を…っ」


レルムはミカの顔に自分の顔を近づけ、背中を引き寄せる。
これじゃまるで、本物の恋人同士のようだとミカは思った。


「この後"貴女"は言うんだ。『私も貴方を愛しています』
 それから二人は―」


レルムはさらにミカに顔を近づけようとしたその瞬間――。


「接吻を交わす、そうだろう?」

「わっ!ヴォ、ヴォルク!?」

「ミカ殿の帰りが遅いので迎えに来た。…それにしても」


ヴォルクは大人になったレルムの姿を見て、驚いた様子もなく整然としている。
レルムは突然ヴォルクがやってきたことに相当驚いているようだ。
いつの間にか子供の姿に戻っている。


「よくここが分かったね、ヴォルク」

「ああ、鼻が効くからな。
 …レルム様も、そろそろ屋敷にお戻りになられた良い」

「ちぇー。あとちょっとだったのにな。
 ばいばい!アルトの先生」

「あ!お気をつけてくださいね!レルム様」


レルムは元来た道を戻っていってしまい、ヴォルクとミカだけが残された。


「迎えに来てくれてありがとう。あれ?いつの間にか人間の姿になってる」

「っ…自分でコントロールできないんだ。
 それより…ミカ殿は、何も変わったところはないか」

「私?どこも怪我してないよ?」

「そういうことではなく…。レルム様には、何か…その」

「ああ、何にもされてないよ。それにレルム様はまだ子供だし」

「そうか、いや、なら良いんだ。いや…良くない」

「え?」

「ミカ殿は…少々、隙がありすぎる」

「私が?そんなことないと思うけど」

「ほら、」

ヴォルクに後ろからぐいっと手をとられると、体が反転させられ
さっきのレルムと同じ距離にまで顔が近づいていた。


「あ…」

「こうやって簡単に、他の男に隙をつかれてしまったらどうするんだ。
 そんな細い腕で…抵抗できるのか?」


ミカは手をほどこうと必死に動こうとするが、びくとも動かない。


「…く…っふ」

(レルム様と違って力が強くて、体も大きくて…。私じゃどうにもできない)


ミカは抵抗を諦めて視線をヴォルクに合わせると、時が止まったように
ヴォルクと視線を交えたまま動けなくなる。


「無防備」


ぼそっと耳元で囁かれた声に、どう抵抗することもできなくて。


「そ、んなこと」


叱られた子供のように目を潤ませるこの女性が、あまりにも脆くて、愛しくて
ヴォルクはそっと体を離した。

「…こういう時のために、護身術を学んだほうがいい」

「護身術?」

「ああ、ミカ殿はこの国の武術にも興味があるのだろう。
 書物で学びきれないこともあるからな。…何より、ご自身のためになる」

「そっか。うん、ありがとうヴォルク」

「いや…すまない、ミカ殿、さっきのことは気にしないでくれ。
 少しやりすぎた」

「気にしないで、私のことを心配してくれているんでしょう?
 …日が暮れそうだね。宮殿に戻ろうか」

「…ああ、」



数日後、ミカは訓練場で護身術の実践をしていた。


「うーん、本の通りにやっているけど、これで良いのかな…?
 あ、イングリフさん!」

「こんにちは、教授。護身術の訓練ですか?」

「ええ。ヴォルクに勧められて…」

「ヴォルクですか…。ふふ。最近何やら自己嫌悪に陥っているようでね。
 訓練ばかりして気を紛らわせていますよ」

「そうなんですか。最近見かけないと思ったら…
 何があったんでしょうね?」

「さあ…」

イングリフはくすりと笑って、ヴォルクの落ち込み様を思い出した。


(あのヴォルクをあんなに落ち込ませるなんて、面白いお方だ)


目の前に居る細腕の女性を見つめて、そんなことを考えていると、
同時に必要のない悩みを抱えている彼を思うと不憫にも思える。

そんなイングリフが良かれと思って話したヴォルクの功績についての話を
「何故話すんですか」、と怒られてしまうのはもうすこしあとのお話。

12/12/31 12:32更新 / mika

■作者メッセージ
読んでくださってありがとうございます。
感想やメッセージ、登場人物のリクエストなど頂ければ嬉しいです。

◆yukaさん、akiさんのリクエストで、メインはヴォルクとレルムにしてみました。
(レルムのほうが内容濃いですが…)メッセージありがとうございました。

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