小風嵐 BACK NEXT

 次の日の朝、フィーはA4サイズの鞄を手に店番をキアに頼んで外に出てきていた。そしてとある法律事務所のビルまでやってきていた。

「ベルゼビュート様は外出中でいらっしゃいます」
「全く。必要な時にいなくて、どうでもいい時にはいるなんて。タイミング悪すぎよ。ちょっとは空気を読みなさいよね」

 開口一番。フィーが扉を開けた途端、椅子に座って作業をしたままでフィーが尋ねるより早く男は答えた。それに対してのフィーの返事は、毒舌。傍若無人。悪魔だろうが一切遠慮しないその物言い。
 ここはとある都心部に並ぶ高層ビルの一つ、その四十九階にある法律事務所。ここの社長と言うべき人物は、ベルゼビュートという名の悪魔である。そしてその秘書であるこの男、ハーベンティも同じく悪魔だ。この二人のみで成り立っているこの法律事務所は、そこそこ地価の高いビルの上階付近という、値段もまあまあ良いところだろう場所で存続している。極少数であるにも関わらず経営が成り立っているわけは、ひとえに悪魔としての力が少なからず関係しているだろう。知る人ぞ知る、依頼人を選ぶ、高額な報酬を得て動く。そんな経営方針だからこそ、そしてそれに見合った結果を出しているからこそ成り立っているのだろう。

「まあいいわ。ハーベンティ、貴方にこれを渡しておくから、代わりにベルゼビュートに渡しておいて。一応割れ物だから保管には気をつけてね」

 そういうなりジャケットのポケットから無造作に取り出した小袋をハーベンティの座っている席まで移動し、その机の上に置いた。ハーベンティはそこでやっと、少しだけ視線を書類から外して上を見上げた。茶色の紙袋と、見慣れた女性の顔が見える。

「じゃ、よろしくね」
「………」

 フィーは突然現れて、そして突風のように去って行った。やれやれとハーベンティは再び机の上に視線を落とし、仕事を再開した。まるで小嵐が来て過ぎ去ったような事務所の中は、フィーが現れる前と同じ、無機質なペンの音と紙をめくる音が小さく響くだけだった。

「あ、そういえば」
「……なんですか」

 再び何の前触れもなく、唐突に開いた扉。ひょっこり現れたのは、先ほど出て行ったばかりの人物。「今日のご飯、何がいい?」と同じようなノリで消えていった扉から、そう顔だけだして尋ねてきた。

「あなた、香水ってつけていたかしら?」
「……たまになら」

 ハーベンティは仕事をしながら、不承不承という様に、ポソリと呟いた。

「そう。なら、気にいれば別の香水をつける気はある?」
「まぁ、気にいったものなら」
「わかったわ。それじゃ」
「……」

 聞きたいことだけ一方的言い、自己完結し、また勝手に出て行った。

「……まったく、相変わらず嵐のような人ですね」

 二度の同じ訪問者の邪魔…に、一息つくことにしたハーベンティは席を立って、ポットの置いてある部屋の奥にある給湯室に行って紅茶をカップに注いだ。

「……ふぅ」
(――希少な存在は、その思考も稀なのか)

 ベルゼビュート様と共に人間界に降りてから、様々な人間を見てきたが。その中でも初めて出会った、稀なる人間。その人間は調香師のトップを目指す、まだ幼き少女。そして私たち「悪魔」を惹き寄せる存在でもある。さらに彼女は「悪魔」と知っても、なんら周りの人間たちと変わらずに接してくる。そればかりか、ベルゼビュート様と対等に、いや、対等以上に接している。

「まったく、おかしな人間だ」

 カップから立ち上る湯気。
 ゆらゆらと揺れるソレは、まるで儚い人生を右往左往する人の生のようだと思った。

「さぁ、仕事に取り掛かりますか」

 無口、ましてや一人言などまず言わないハーベンティの呟き。それは誰にも聞き届けられることなく、静かな部屋に静かに溶けこんで行った。
 外では青い空に鳥の鳴き声、人の喧騒が小さく響いていた。
14/12/09 21:16 up
久遠
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