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「いらっしゃいませ」 メガネをかけた和真の顔を見たら、笑顔でそう言っていた。 すると、和真の表情が固まった。 「お前、まだこんなところでバイトしてるのか?」 「ごめん。なんか、辞めるきっかけがつかめなくてさ」 他に客はいなかったんだけど、少し離れたところに桜井さんがいたから、小さな声で和真に言った。 「きっかけなんて別にいらないだろう?とっとと辞めてしまえ」 和真もそれに気付いたようで、ちらっと桜井さんを見てから小さな声で僕にそう言った。 「そんな辞め方したら、桜井さんに迷惑がかかっちゃうんだよ。それでもいいの?」 和真がむっとした顔で黙りこむ。 「帰ったらシフト表見せてみろ。瑞希が困らないタイミングで辞めるんだ」 ぼそっと和真は言った。 やっぱり桜井さんが大事なんだ。 顔には出さないけど、ちょっとむっとした。 桜井さんが和真に気付いて、こちらに来た。 「お兄ちゃん、また来たの?」 言い方は迷惑そうだったけど、態度は少し嬉しそうな感じがした。 「瑞希 、見に来たぞ。大丈夫か?変な客が来たりしないか?」 僕なんて居ないかのように、和真は桜井さんにそう言う。 やっぱ、僕より桜井さんなんだなって思った。 「変な客はお兄ちゃんだよ……」 僕もそう思った。 妹を心配してバイト先に来る兄貴って、異常だと思う。 「客に向かってその言いぐさはないだろう?ちゃんと本を買いに来たんだ」 「わざわざここで買わなくてもいいじゃない」 「どこで買おうと俺の自由だ」 そう言って、和真は優しい表情で桜井さんに微笑みかけた。 桜井さんと居る時の和真は、ホントに穏やかな空気を漂わせる。 「桜井さん、少し休憩してきていい?」 「あ、すみません。もう休憩の時間ですよね。今のうちに行ってきてください」 桜井さんは、自然な笑顔でそう言った。 営業スマイルとかそういう感じがない、ごく自然な笑顔だった。 桜井さんも、和真といると、肩の力が抜けるんだと思った。 「どうした?顔色が悪いぞ」 思い出したように和真が僕に言った。 「そうかな?」 むかついているのが分からないように、笑顔で僕は言った。 「ウチのバカなお兄ちゃんと同じ空気吸ったから、気分悪くなったんじゃないですか?お客さんいないし、しばらく休んでていいですよ。手が足りなくなったら呼びますから」 それは、桜井さんにとっても僕が邪魔ってことなんだろうか? と、勘ぐってしまった自分が、少し、イヤだなと思ってしまった。 「喉が渇いただけだから、お茶飲んですぐに戻ってくるよ」 僕がそう言うと、 「ゆっくりしてきていいぞ。ここには俺がいるから心配しなくていい」 と、偉そうな感じで和真が言った。 「お兄ちゃんは従業員じゃないんだから、いたっていなくたって同じなの」 「バイトのくせに客にそんな口きいていいと思ってるのか?」 「お兄ちゃんは別。本買ったらとっとと帰って」 「そんなことを言うんなら、本を探すの手伝ってくれないか?手伝ってくれなかったら、どこにあるのかわからくて、長居すると思うぞ」 「んっとにもう。世話が焼けるんだから」 桜井さんは、迷惑そうにそう言った。 でも、なんか、楽しそう……。 桜井さんが、いつもよりかわいい。 邪魔したら和真に怒られると思って、こっそり控室に向かった。 ◇◇◇◇◇◇◇◇ 薄暗い控室。 パイプ椅子を引っ張ってロッカーの陰に置いて、それに座って買ってきたペットボトルのお茶を飲む。 僕には見せない姿だった……。 和真は僕には偉そうにして、威張り散らしてるかと思うと気まぐれに体を求めてくる。 どうせ、遊びなんだろうし……。 このままずっと一緒にいられるわけでもない。 そんな僕と、血のつながった妹じゃ、比べようもないんだろう。 やっぱ、バイト辞めようかな。 お金は困ってないし……。 元々人前に出るの、好きじゃないんだよね。 昔の知り合いとかに会ったりするのも嫌だし。 僕の知り合いで本屋に通うようなのいないからいいんだけど。 ……お茶、こんなに不味かったっけ? いつも飲んでたお茶のペットボトルを見ながら思った。 「岩崎」 「え?」 気がつくと、和真がいた。 「なんでいるの?」 「瑞希に追い出されたんだよ。本買ったら帰れって」 そう言って、和真は包装紙に包まれた本を僕に見せた。 「ここは追い出されたからって来るところじゃないよ。関係者以外立ち入り禁止なんだから」 「関係者だ」 そう言って、和真はキスしてきた。 ……オヤジ。 「その関係と違うし……」 「お前こそ電気も点けずに何でこんなところにいるんだ?」 「休憩してるだけだよ」 「こんな暗いところで?」 「そんなに暗くないよ。目が慣れれば見えるし」 「電気くらいつけろ。おかげで探したじゃないか」 「なんで?」 「なんか、機嫌が悪そうだったから。瑞希の前で、あんまり変なことできないだろ」 そう言って、和真が僕の服のボタンに触れる。 「桜井さんの前じゃなかったら、変なことするの?」 それに答える代わりに、また和真がキスしてきた。 「……ん」 しつこいから離した。 「ここ、僕のバイト先なんだよ。誰かに見られたらどうするつもりなんだよ」 「そうしたら辞める口実になるだろ」 それが目的なのか? ボタン外されそうになったから、それを止めて耳元で小声で言う。 「今、見つかるとしたら桜井さんだよ」 むっとした顔で和真は僕から離れた。 「もう行くよ」 あんまり長居してるとここでされそうな雰囲気だったから、そう言って席を立った。 「瑞希を家まで送ったら、お前のマンション、行くから」 「いいけど……」 「シフト表、見せろ」 「…………」 この男は…………。
10/11/28 01:34 up
佳純
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