目が覚めると、そこは、いままで見たことがない、石畳の牢獄だった。
まさか…………。
そう思って、両手を上げると、ジャラという金属を引きずるような音と、手首を締める重い感触……。 みごとに鎖でつながれていた………………。 小説の通り、足にもきちんと鎖がついている。
マジで、動けないんですけど……。 まるっきり動きを封じられるわけではないが、動ける範囲がせいぜい一メートル四方という感じだ……。
どうなってるんだ?
ギィという金属のきしむ音がして、マリアンヌ殿が現れた。
「あ、ヴォルク。起きた?」
この牢獄にふさわしくない、無邪気な笑顔だった。
「とりあえずね、参考文献に従って、再現してみました」
踊るような足取りで、マリアンヌ殿はこっちに来た。
「ここは……、どこだ?」
この人は、本当に一体何を考えて生きているんだ?
「教えませ〜ん。これは、ヴォルクが姿のコントロールができるようにするための実験なのよ。教えたらダメなの」 「そんなことあの小説には書いてなかったじゃないか」 「ここにあるよ」
そう言って、マリアンヌ殿はあの小説を出して、冒頭部分を指した。 確かに、その話の俺は(俺では絶対にないが)そこがどこだかわかってない感じだ……。
「こういうとこから、いろいろ推理して実験しないといけないのよ」 マリアンヌ殿は、ハンパなく生き生きしていた。
「というわけで、まず、獣になってください」 「え?」
今は、人間の姿だった。
「この文献では、人になってるところから始まってるんだけど、『できてるじゃないか』とイングリフさんが言ってる個所から、この前は獣だったということがわかるのね。獣から人になって、ようやく食事にありつけているのよ。一回獣になって、それから人になったら食事をあげるね」
「本気か?」 「うん」
「それまで食事抜きか?」 「うん。参考文献だとそうなってるから」
参考文献って、あのくそったれイングリフ様の書いた小説のことだろう? あんなもん、アテになるわけがない……。
「その通りにやっても、それでコントロールができるようになるとは限らないじゃないか」 「でも、実験ってそんなもんだよ。まず、他人の文献を見て、それが再現できるかどうかを予備実験するんだよ」
「そうなのか?」 「うん。再現できたらよかったね。それじゃ、改良してみようってことになるんだけど、できなかったらその理由を考えてやり直さないといけないの。でも、いろいろなケースがあるから、一概にそうとも言えないんだけど」
大変なんだな…………。 ってか、やり直すって何なんだ、やり直すっていうのは……。
「とりあえず、ヴォルクが獣になるまで、待つしかない」
そう言って、マリアンヌ殿は俺の隣に座った。
「いや、でも、コントロールできないから……」 「コントロールできるようにするための実験なんだから、がんばって獣になって」
……………………マリアンヌ殿がいたら、獣になりにくいんだが。 とは、さすがに言えない。
「わかった。それじゃあ、発想を転換してみよう」 「え?」
「前に、イングリフさんが言ってたんだけどね」
なんか、ものすごく嫌な予感がする。 イングリフ様が出てきて、ロクなことがあった試しがない……。
「私がどちらかの姿を好きだと言えば、言った方に固定されるかもしれないって」
…………………………あのクソったれ。 そんなことをマリアンヌ殿に言っていたなんて!
「ヴォルク」 「え?」
マリアンヌ殿が、憂いた瞳で俺を見た。 少しうつむき加減で、綺麗というか綺麗で……。
「私、ヴォルクの獣の姿、大好きだよ。ぴょこんとズボンから出てるシッポもキュートだし……」
そう言って、マリアンヌ殿が近づいてきた。
「マリアンヌ殿……」
思わずのけぞるが、牢獄の壁が背中に当たった……。
「もふもふの毛ざわりも、思わず触りたくなる」
そして、マリアンヌ殿が、俺の服のボタンを外しだした。
「ちょっ……、マリアンヌ殿!」 「あ、ヴォルク。すごいかも」 「え?」 「ほら、毛深くなってる」
マリアンヌ殿は俺の服の前ボタンを全部外して毛深くなったところを指した。
「もう一歩だね」
無邪気な笑顔でマリアンヌ殿は言った。
……………………俺に、どうしろというんだ?
◇◇◇◇◇◇◇◇
「獣がいいな。獣のヴォルク、大好きだよ」 マリアンヌ殿は、しゃがみこんで俺の胸に向かってそう言っていた。
「人に戻っちゃった……」
拗ねたように、マリアンヌ殿は俺を見上げた。
……この人、かわいすぎなんですけど。
「まさか、これで食事にありつこうとしてない?」
そう言って、ふくれっ面をした。
「そんなはず、ないだろう?」
人間に戻った理由は、なんとなくわかるが……。
マリアンヌ殿は俺の隣に座った。
「一度獣になって人間に戻ったって言えば、食事もらえるじゃない。私ならそう言い張るわよ」 「あれでいいのか?」 「ダ〜メ」 「それじゃ言ってもしかたがないだろ」
すると、グーという腹の虫が聞こえた。 マリアンヌ殿を見ると、頬が赤くなっていた。
「しかたないわね。特別にご飯、あげるわ。私もお腹、空いたし」
そう言ってマリアンヌ殿は立ち上がった。
「助かる」
吹き出すのをこらえるの、少し難しかった。
「でも、次はちゃんと姿が変わったらだからね。全身毛に覆われた獣になって、それから人間にならないと、あげないんだから」
少しだけ、この状態、悪くないかもしれないと思ってしまった。
マリアンヌ殿はドアに向かった。 そしてドアの前に来て、ドアの取っ手に手をかける。
「あれ?」
マリアンヌ殿は取っ手を引いていた。
「どうした?」
「開かない……」 「え?」
マリアンヌ殿が、取っ手をガタガタ揺すると、ガチャっという音がした。
「閂、下りちゃったかも?」
振り返ったマリアンヌ殿は、愛らしく首を傾げて言った。
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