読切小説
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陽光のヴェール
「ケスタロージャさん!こんにちはー」
公園のベンチに腰かけた私の耳に、彼女の元気な声が届く。

こうして彼女と会うのも何度目になるだろうか。
「ずっと貴女の傍にいたい」
そんな私のわがままな想いを受け入れてくれた彼女は、
あの日以来、休みの日には必ず会いにきてくれる。

今日の彼女は、薄手の上品なワンピースを身に着けていた。
袖と裾の部分に、カーテンを広げたような細かい模様の入った
純白のレースがあしらわれている。
先日、街で見かけて衝動買いしてしまったのだと、嬉々として話す彼女にぎこちなく相槌をうつ。
こんな時、気の利いた言葉の一つもかけられれば良いのに。
口下手な自分を、最近とくに恨めしく思うようになった。
これまで一度も、そんな風に思ったことはなかったのに。


いつもの公園を二人で並んで歩く。
彼女はときおり足を止め、目の前のさまざまな光景(それは遊びに夢中の子供だったり、
道端にさりげなく咲いている花だったりする)に目を輝かせ、カメラを向けていた。

歩くたびに、彼女の纏う純白のレースが風に乗って、
ひらひらと楽しそうに揺れるさまは「何か」に似ている。
漠然とそう思ったけれど、「それ」が何なのかは思い出せなかった。
たぶん、日常の中で時折見かけるようなありふれた、
しかし自分には縁がないためにあまり印象に残らない、そんなようなもの。


「…セリアさんは、やはり、この国で写真家を目指されるんですか…?」
先日開かれた彼女の処女個展は大成功を収め、何人ものバイヤーに声をかけられた彼女は
そのまま写真家への道を進むのでは、という噂も立ち始めていた。
「うーん…どうでしょうね。私にもまだわからないです」
しかし、当の彼女はあいかわらずこの調子で、周囲の噂を気にも留めていない様子だ。

「私はただ、行き先が決められなくてフラフラしてるだけだから。
 ケスタロージャさんみたいに、ちゃんと自分のなりたいものが決まってる人が羨ましいです」。
以前同じことを聞いた時、彼女はそう答えた。

「…本当は、あるんですけどね。どうしてもなりたいもの」
私が目を向けると、彼女は困ったように笑って
「そっちは、なれるかどうか全然わからないんですけど…
 いつかは、なりたいなあって思います」
いつか、この国で自分の個展を開きたい、と私に語った時と同じ顔で言う。


ああ、彼女は本当に自由だ。
自分の決めた場所に向かって、まっすぐ前を見据えて、わき目もふらずに努力して、
どんな夢でもいつか叶えてしまうに違いない。
しっかりと捕まえておかなければ、いつの間にかするりと私の手から放れて
どこかに行ってしまいそうな気がする。
子供がうっかり手放した風船が、風に乗って不規則な軌道で飛んでいくように、
一度見失えば、それはもう二度と捉えることができない。

彼女の夢がすべて叶った時、私はまだ彼女の傍にいられるだろうか。


****


傾いたオレンジ色の陽光が、ふたつの長い影を落としている。

公園からの帰り道、いつも間断なくよく喋る彼女は、疲れたのか珍しく黙り込んで
黙々と足を運んでいた。
一度も視線を合わせることなく、無言のまま彼女の下宿の前まで着くと、
ようやく彼女は私の方を振り返って、小さく微笑む。
「…ケスタロージャさん、今日はありがとうございました。
 おかげで、良い写真がいっぱい撮れました」
愛用のカメラを抱えて、ぺこりとお辞儀をする姿が、なぜかとても寂しげに見えて
私は思わず彼女の手を取っていた。
驚いて顔を上げる彼女に、秘めていた言葉がひとりでに口をついて出る。
「セリアさん…私にも、貴方の夢を応援させてください。
 私にできることなら、何でもしますから……
 ……何も、できないかもしれませんが…」
「……」
最後の台詞は聞き取れないくらい小さなものになってしまった。
熱くなった頬を見られるのが気恥ずかしくて、黙ったままの彼女に小さく別れを告げると
背を向けてそそくさと歩き出す。

「できますよ、ケスタロージャさんなら!…だって私、」
ふいに背中に彼女の声が飛んできて、私は反射的に振り向いた。

ケスタロージャさんの、お嫁さんになりたいんです。

見開いた視線の先には、はにかんだように微笑む彼女の顔。


陽光を含んだレースがきらきらと光を零しながら、風に舞っている。
「それ」はいつか教会で見た、花嫁の純白のヴェールに似ているのだと、ようやく思い出した。
12/06/29 01:56更新 / sinobi

■作者メッセージ
旧SS作品集のページに以前投稿したものを、
こちらに再投稿させていただききました。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

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