遮光

 時間は、ある冬が過ぎた頃に遡る。
 冷たい風は春の嵐を呼び、公園のあちらこちらに暖かいぬかるみをいくつも作った。

 17,8歳だろうか。二人の若者が、革靴のかかとの乾いた泥を払い落としながら、途切れ途切れに差し込む春の光を楽しむ人々に紛れ、これからの事を話し合っていた。


「ねえ、いつまでそんなコートを着ているの?去年は、六月まで着てたっけか」
 ケスタロージャ、聞いてる?」

「…あ、……ええ、」


 一人はひょろりと細い明色のシルエットに銀縁眼鏡の青年。飄々としているが、あどけなさを感じさせる。
 もう一人は、大人びた風貌とは反対に、頼りなさそうな黒ずくめの青年。カメラをぶらさげている。
 これからの事、といっても、他愛のないものだ。
 彼らはつい先日、互いに学校を卒業したばかりだった。


「―ねえ、やっぱり、写真は諦めるの?」

「私は…資格を取ります。写真は趣味でも出来るから…その質問、三回目…」

「変な事ばっかり覚えてるなあ。ケスタロージャのくせに」

「ミルズくんがそれを言うと、少し辛い気持ちになるから…」

「だからそれは君が……いや、いいや。」


 お前に言ってもしょうがないよね、と言って、ミルズくんと呼ばれた眼鏡の青年はかじっていた黒パンをちぎって、足元に放り投げた。
 ぶわッという羽音と共に、白いハトが彼のシルエットを取り囲む。
 ぬかるんだ地面が真っ白になった。
 硬直したケスタロージャが反射的に身構えると、ミルズはあははと笑い声を立て、残りのパンをばらばらと遠くに投げ、鳥の群れと距離を取った。


「びびるなよ。君、動物が怖かったっけ」

「… 嫌いじゃ…ないんだけれど」

「僕はどうしようかな。これからの事、決めてないんだよね」

「ミルズくんなら、何でもできると思うな」

「まあね 僕なら、」


 ミルズはそっけない笑顔を作って、両手で宙に丸を描いた。


「僕なら普通の生き方も、普通じゃない生き方も両方できるよ」

「君はすごいね」

「すごかないさ。つまらないのが嫌なだけ」


 ミルズの髪の毛に差した光が、その輪郭を白く包んでみせた。
 餌をついばみ切ったハトが、彼の頭の後ろをぱたぱたと飛んでいく。


「ケスタロージャの写真、いいんだけどな」

「ありがとう」

「だからカメラじゃないってば」


 "いい"という言葉に、微笑みながら胸元のカメラを撫でるケスタロージャの脇をミルズがつっついた。
 カメラのことにでもならないと、笑うことがないのだろう。
 大事に抱えたそのカメラに指先を触れさせると、ケスタロージャはまた硬直した。


「羽、ついてる」

「……あ、うん、ありがとう」


 胸とカメラの間に挟まった白いハトの羽。
 有無を言わさず、ミルズはそれを彼の胸ポケットに押し込んだ。


「おしゃれおしゃれ」

「……」

「ねえ、貸してよ。それで写真とってあげる」

「いや、これは…」

「大丈夫だって。僕のカメラの扱い知ってるでしょ」

「でも…ミルズくんは、カメラはただの道具って」

「僕たち暫く会えないんだよ」


 硬直したまましぶっていたケスタロージャだったが、やがて押しに負けてカメラを首から外した。使い古されているが、質のいいものだ。両手にも収まらない、大きくて無骨な黒いアナログ一眼レフ。"撮るよ?"という言葉と共に、白い羽を差した、おどおどした黒ずくめがファインダーに収まった。
 続けざまにシャッター音。目にも止まらぬ早業。


「はい、おしまい。どう、早いでしょ」

「……ふ、服くらい整えた方が、」

「いいさ。僕はじっくり考えて構図作るのあんまり好きじゃないんだ。
 ねえ、ケスタロージャ。僕のことも撮ってくれる?」

「え……」

「いいよね?ほら」


 大きなカメラを彼の手元に戻しながら、ミルズはごく自然なポーズを作った。
 撮られなれているのか、性分なのか、彼の一挙一動にスキらしいものは見あたらない。
 意を決してカメラを掴むと、ケスタロージャはファインダーを覗き込んだ。
 瞬間、あの頼りなさそうな挙動の青年は公園からいなくなった。
 冷たさも熱さもまるで温度を感じさせない真剣な顔で、カメラから覗く狭い世界のピントを定めている。
 光、影、色、形。動き。1分、5分。雲間から差した陽光は午後二時。
 痺れを切らしてわずかにポーズを崩したミルズの白い髪が、ふわと舞い、光の輪郭を宿した。
 シャッターが鳴った。

 ………


「……なんだよ、人がせっかくキメてみたのに」

「いい写真がとれたよ」

「そうだろうな、いい顔してたよ」

「…君が?」


 鏡がどこかにあったっけと、考え込みながら再びカメラを抱えて小さくなる青年に、お前に言ってもしょうがないよね、と言って、ミルズは背を向けた。


「できたら、送ってくれよ。忘れちゃってるだろうから。」

「君は忙しいんだね」

「僕はこれからもっと忙しいんだよ」

「ごめん、付き合わせてしまって」

「いいさ。ねえ、それ、やっぱり僕がもっていくよ」


 またね。

 短い言葉を残して、ケスタロージャから抜き取った白い羽をふわふわさせ、明色のシルエットは公園のぬかるみの向こうに消えた。
 あの二枚の写真は現像されないまま、10年近くが過ぎていった。



- - -



 再びある冬が終わろうとしている。
 今では公園は舗装され、ぬかるみを歩く事もない。
 毎日のように黒ずくめの男は白いベンチに座り、白いハトにパンくずを与えている。
 今日、彼の隣には一人の少女が座り、途切れ途切れに差し込む春の光を楽しむ人々に紛れ、使い古されたそれぞれのカメラを膝に抱えて他愛ない会話に勤しんでいた。


「ミルズさんって、おもしろいけど、なんだかふしぎな影があるんですよね」

「彼は、…」

「ケスタロージャさん、何か知っているんですか?」

「いや、何も…知らないんです」

「普段何してるのか聞いても、教えてくれないんですよ」

「そう…でしょうね」


 少女は臆することなく、次々と言葉を語りかける。きらきらと眩しい瞳。
 ケスタロージャは視線を逸らしたまま、少女の話に相槌を打っている。


「ミルズさん、あいつはカメラにしか興味ないんだって言って笑ってましたよ!」

「……それは……」

「そんなことないですよね。動物にごはんあげたり、弁護士やって弱い人の味方したり
 ケスタロージャさんって、優しい人なんですよね!」

「そういうわけじゃ…ないですよ」

「あっ、じゃ、ミルズさんが一番そのこと知ってるハズですよ」

「…なんのことですか?」

「すっごく、私よりもっと、カメラを大事にしてますもん、ねっ!ケスタロージャさん!」


 少女はあははと笑ってかがむと、ベンチの下に散らばっている白い羽に手を伸ばした。
 薄い色の長い髪の毛が午後二時十分の陽光を受け、きらっと光の輪郭を宿した。

 硬直したケスタロージャが、ぎゅっとカメラを抱えたまま
 反射的に身を乗り出すと、ものを言った。



「あの… あなたの写真を、撮らせてもらえませんか?」





 -END

10/03/18 05:40 きき


ここでははじめまして!
現行の設定を崩さないようにしつつちょっと過去捏造。お恥ずかしいです。
キャラクターの性格と、背景に気を使いました。
読む方によって色々な解釈ができる作品にしたつもりなので
深読みと妄想で楽しんでくださればとっても幸いです。

描こうとしたけど描けなかったので、挿絵超募集中です\(○)/
[paranoia投稿SS作品集]
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.30c