読切小説
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感情の行方
思わず 聞き返す

振り返った先の彼は笑っていた
でも、その笑顔の意味が分からなくて 私は只茫然と立ち尽くす

「気付いて無いと思ってた」

そう言った彼が微笑む姿を私は只見ているしか出来ない

「な、んて 言ったの?」

少しの間を置いて ようやく口にした言葉は途切れていた
そんな私をみて 少しだけ困ったような表情になる



「― が好きだ」


その言葉に 答える事も出来ずに 息を止めた















家迄の道のりも、此処が図書室で無い事も、その後どうしたのかも
今一把握し切れていない事は 足をぶつけた物が
見慣れた自分部屋のベッドだった事から、自分の部屋に来ていた事を
認識して ようやく気付いた

頭の中は真っ白で、聞き返した言葉だけが耳にこびりついている

『―――』

張り付いて取れないその言葉は 思考を停止させた

何がどうなっているのか、が 良く分からない
頭の中を整理しようとすると 開いたままだった鞄から
図書室の本が覗いていたのが目に入る


その本は つい先程の、図書室の本を整理していた時に借りたものだ
香川さんが勧めていたと 清水君が言ったのを聞いて借りようと思い
返ってきたばかりの本を借りる事にしたのだ

何ら変わりのない会話だったと思う 何時ものようにした会話すら
今では思い出せないが そんな中 不意に彼は私を呼んで言った


どうして、そう言ったのか見当がつかなかった
何故、そんな言葉が 今頃になって頭に浮かぶ

別段何が優れている訳でもないと自分では理解していた
思い当たる節も理由も無く ぐるぐると回り出す思考を
聞こえてきた扉を叩く音が遮る

―コンコン、コンコン

反応が遅れたせいで 繰り返されたノックに扉へ向かう

「…」

何も言わず立っている人物の顔を見上げた
開いた扉の先にいた兄は何も言わない
扉を閉めようとすると 声が掛った

「ご飯冷めるぞ」

「え?」

扉を閉めずに顔を見上げる
ただ此方を見やる顔には何の変化も見られないが やはり何も言わず
喋らない兄の後を追うように食卓へ向かった




朝が遠いようですぐ来て来てしまう
そんな矛盾した感情に苛まれながら 通学する途中で香川さんとすれ違う
挨拶を交わして 校門に入った所で、清水君を目にした

「ああ、 おはよう」

「…おはよう」

「香川と一緒だったんだな」

その言葉に言いかけた私を遮って香川さんが声をかける

「そうだよー。でも今日ちょっと ちゃん様子が変だよね
 清水君何か知らない?」

香川さんは笑っていたけれど、少し寂しそうで―

「知ってる」

答えた清水君の言葉にも 私は驚く







教室の机 休み時間に香川さんに話しかけると
笑顔で迎えてくれた

「―清水君もあんなだし、気になるな」

「清水君に、聞いたの?」

「ううん、全然」

「……昨日、清水君に告白して貰ったの」

その言葉に少しだけ 香川さんは驚いた顔をして
直ぐに笑顔で 話を促した

「そうだったんだ、それで、 ちゃんは…」

「それが良く、分からなくて 答えられていないの」

早く、答えなければいけない そんな気持ちだけは確かにあった
それでも 思い返すと 言葉がただ落ちて来る
どうすればいいか わからなくなった

「それは、どういう意味で?」

柔らかに 香川さんが尋ねた 私は香川さんの方を見る

「 ちゃんって、誰かを好きになった事ある?」

「…あるよ」

その言葉に香川さんは微笑んだ

「もしかしたら、だけど ちゃんは もう好きな人がいるのかも」


「え?」

聞き返した私に香川さんは笑ってみせた

「なんとなく、だけどね ちゃんって
 ずっと好きな人がいると思っていたから…

 気付いて無いだけかも知れないよ?」


「…」


その言葉に少しの間 言う事が出来なくなる

「そうかな?」

「…もしかしたら、だから違うかも知れないけど」

「…」

「清水君なら、待ってくれると思うから
  ちゃんは ちゃんが思った答えを出して大丈夫だと思う」

「―ありがとう」




帰りがけの図書室 清水君を前に つぶやくように
今は、答えられない と伝えると 彼は  静かに頷いた











「お帰り」

扉を開けると そう言った声の方を見ると視線を落としていた

「昨日から、少し様子がおかしいよ」

そう言うと 困ったように兄は表情を変える

「…それは がだろう」

「私? そんな事無いよ」

「…」

此方を向いた目を見て 目を背けたくなるのを堪えて笑う

「―好きな人が」

その言葉に微かに鼓動が波打ったのを確かに耳がとらえた

「…好きな人が、できたんじゃないのか?」

そう言いながら再び逸らされた 視線に私は安堵した


「別にいないけど」

「…そうなのか? でも、もう出来てもおかしくないだろう」

「―何の心配なんだか」

溜息を付きながら部屋に向かう


扉を閉めて そっと息を吐いた 清水君を前に ずっと緊張していた肩を
聞きなれた声が 力を抜かせる

それは随分前に 誰かを好きになったその気持ちとは 別のものだが
けれど 本当に時々、兄を前にして 鼓動が高鳴る時がある
その事は自覚していた

それが兄妹を思う気持なのかどうかは分からない
度が過ぎると兄を遠ざけている事は確かだが
別段その答えを知ろうとはしなかった

誰かを思う気持ちに比べては弱くて 小さい
曖昧な感情、それはあまりに あやふやで不明瞭だ

ベッドに寝転がり、目を瞑る

清水君の言葉を聞き返した時 頭の片隅で思い浮かんだ事がある
けれど どうという事でも無いと思っていた

香川さんの言葉を思い出す

多分、きっと この感情はそういうものではないのだと思う
経験から、そう思いながら 名前すらない曖昧な感情は胸の奥で何かを言う
小さすぎて掴めない何かはそのまま 押し寄せた眠りに呑まれて 沈んだ
10/04/30 14:40更新 / そわか

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